楽器を始めた時の思い出。

4月になって新しい年度になりました

僕は高校から吹奏楽を始めたわけですが、この季節になるとそのときのことをいつも思い出します。

 

そもそも入学当初吹奏楽をするつもりなどなく、合唱部に入るつもりでした。

楽器の演奏を褒められた記憶はほとんどないのですが、声については今でも時々お褒めの言葉をいただくことがあります。中学の時も声を褒めていただくことがあり、調子に乗った僕は高校に入った当初、合唱部に入るつもりでした。

 

加えて、僕の兄がやはり吹奏楽をやっていたのですが兄と比較されたくなかったということがあります。

兄は僕と違って非常に器用なタイプでした。音楽もですが、絵を描いたり、模型を作ったり、足が速かったり、僕の苦手なことがことごとく得意でした。あまりちゃんと聞いたことはないのですが、サクソフォンの腕前もコンクールの課題曲でソロを任されるレベルだったらしいです。

なので僕は兄と比較されることをあまり良しとせず、むしろ吹奏楽部は避ける方向で考えていました。

 

そんなある日、授業が終わって帰宅しようと校庭を歩いていると新聞部の三年生が部員を勧誘しており「合唱部に入ろうと思っている」というと「合唱部は応援団と癒着があり、先輩が怖いのでやめた方が良い」といいます。単純な僕はその言葉を真に受けてしまい、合唱部に入るのを躊躇してしまいました。(後で分かったことですが、応援部の数人が合唱部を手伝っていたのは事実でしたがその人たちはバンカラの怖いイメージとは縁遠い、優しい人たちでした。)

そうしたところ、小学校の頃に仲が良かった友人が吹奏楽部に一緒に入ろうと誘いに来ました。彼は私立の中学校に行ってしまったため公立に行った僕とは別々になってしまったのですが、同じ高校に入学していたのです。

その彼は中学校で吹奏楽を始めており、高校でも吹奏楽部に入部していました。そして、先輩方から「友達を勧誘して」と言われており、僕を勧誘に来たのです。

 

当時あまり吹奏楽部に入るつもりのなかった僕は「じゃあ5月の連休が終わったら入ろうかな」とテキトーな返事をしていました。そのころには彼も忘れているだろうと思っていたのです。そして、どこにも入らずに5月の連休が終わった頃、彼は「じゃあ連休が終わったから入部しようか」と忘れずに誘いにきたのです。

そこまで言われるともう断れません。じゃあパートは何にしようかなと僕は考えました。

 

僕は中学生の頃からYMOの大ファンで、先だってお亡くなりになった高橋幸宏さんのようにドラムをカッコよく叩いてみたいという願望が密かにありました。

なのでパーカッションがやりたいですと先輩に言うと、「打楽器はもう人数がいっぱいで入れない」といいます。その後先輩方が何やら話し合いをされ、しばらくして部長さんから「お前、トロンボーンね」と言われました。試しに音を出してみたりとか、そういうのはありませんでした。

 

その後、楽器はチューバに変われども、人生でこんなに吹奏楽にどハマりするとは当時は知る由もありませんでしたが、始めるきっかけはなんともテキトーなもんだったなあと思います。